確かに気持ちの持ち様で病気が治ることがある。飲みすぎて胃を壊して胃癌じゃないかと心配した挙句、検査をしたら大丈夫だった、途端に胃の痛みが消えた。病気の半分以上がそんなものだ。眠れないと言えば睡眠薬、不安感があると言えば安定剤を出し、痛いと言えば鎮痛剤を出す。何故そうなったのか、どういう理由でこの薬を使うかなんて説明する必要も無い、どうせ素人に説明したって解らないのだから。血液を採って写真を撮って検査数値で病名を決め、適応薬品を使う。三時間待ちの三分間診療に意味はない。それでなければ医者は金持ちになれない。だから他人を待たすなんて気にもせず効率的に診る事だけが最優先なのだ。寿命は時間の延長なのに命のケアをする医者には患者の寿命の時間など犠牲にしても一切気にしない。電話でも済むようなことも再診料の点数を稼ぐ為に呼付ける。それがあたかも忙しいのに診てあげているのだと、ありもしない権威を見せ付けているようだ。患者は新興宗教の信者のように大きな建物で高価な器械があって沢山の医者が居る病院が厳かな神社仏閣に見えるらしく藁をもすがるように群がっている。63歳女性のY中さんの話です。最初は膠原病と診断され、自律神経失調症にバセドー病と次第に病名が変わっていきました。ダンスが好きで定期的に汗をかいているときは極めて健康で疲労回復と筋疲労、捻挫以外の治療はしていなかった。息子さんが結婚してお嫁さんが来た。農家は家内労働で昔から営々と続いている。作物はたびたび各種の賞に預っている。お嫁さんは農作業が嫌いで家事も苦手ときている。Y中さんは行く末を憂い、苛苛する毎日になってしまった。単なる嫁姑の問題で無く父と子との喧嘩にまでなって火宅の家となってしまった。あちこちと身体が痛み、不眠が続き、疲れが酷く、次第に痩せていった。病院通いが続き趣味のダンスは勿論、仕事の農作業にも影響するように歯車が逆に回転し始めた。薬は五種類以上も飲むようになって益々身体は衰えが酷くなって見るからも気の毒に痩せ細ってきた。舌は真っ赤に燃えるようだ。薬ストレスを取り去る事が一番の治療だ。ビタミンCも勧めた。甲状腺の治療もあるので伏臥位と仰臥位を交互に治療した。三日目には憔悴した表情がにこやかな本来の顔に戻っていた。お土産に新鮮な入賞した枝豆を沢山戴いてその夜のビールの美味しかった事。