人間の寿命は100歳から120歳まで保てると言われている。病気や外因性の作用がマイナスに働かなかった場合での話である。哺乳動物は成長期の5〜7倍が天年といわれる。人間の成長期は20年とすれば100歳から140歳である。犬の成長期が2年とすれば10年から14年、牛馬は成長期が5年ならば25年から35年である。猿は成長期が12年なので60から84年、象は25年なのだが60年に満たない。ちょっと頷けない。おめでたい鶴と亀では25年と100年に及ぶ亀がダントツである。又人間の身体の変化は女性では7年ごとに、男性では8年ごとに節目のように変わるとされている。7の倍数の女性は14歳になると初潮があり、男性は8の倍数で精通がある。又女性は49歳で閉経し男性は64歳で精力は衰える。中国文化には語呂合わせや白髪三千丈なんて言う誇大表現が多いから面白い。動物は子孫存続の能力が無くなることを「老い」と言う。せいぜい若い人には励んでいただかないと少子化で日本は無くなってしまう。寿命と言っても平均寿命の長い短いは多くは戦争と乳幼児の多い少ないに大きく影響される。死亡率の差が大きく異なるからだ。丈夫で長持ちしているかどうかの健康寿命を考えると日本人は女性が78歳、男性が72歳と言われるが、どうもこれが頷けない。なぜなら高齢者の平均健保の使用額が年間68万円以上といわれ、一ヶ月5万円以上も使って医者に通っている事になるのだ。すべての高齢者が半病人と言われる事になる。医療費に加えて年金、生活保護等の社会保障費が税収を上回ると言うのだからタイヘンだ。先進国ほど社会保障費が問題になるのは何故なのだろう。本来ならば先進民族なのだから社会保障などに頼らず収入も多く自立の精神が高いはずなのだが、これもマネーマネーの商業主義が福祉の名目で金儲けに走っているからだ。高齢者は少ない量とカロリー低めの食事に気を配り、汗をかく運動と社会参加に勤める事だ。医者が真っ青になる。医者と坊主が金持ちになる社会なんて碌なものじゃない。医は仁術であり名伽藍に名僧無しである。坊主の話になるとどうしても死ぬと言う事を考えてもらわないといけない。斎場で骨を拾って、病院で管つきの衰えた姿を見て、手術の光景に恐れおののき、うろたえる。誰だって嫌な事である事に違いは無い。すべての宗教はここから始まっている。時代、場所によって違いがあるものの共通するところだ。しかも100%の確率でやってくる死は嫌が応でも昇らなければならない13階段だ。老廃物が排泄できないくらいに溜まり全身のアポトーシスで綺麗にする死を迎える。宗教は人間が生んだものだ。西洋人は宗教が生活に馴染んで日常化している。日本人も「多宗教人」である。お正月の神社にお盆のお寺、クリスマスにはパーテーに贈り物。死を納得させる為に宗教に陶酔する。法悦に酔いしれるためにはお布施が要る。そもそも金のかかる宗教ほどいい加減なものは無い。良いか悪いかはお布施の額を天秤にかけると良い。あの世なんてものは人間の想像の世界であってありっこない。よみがえってお土産でも持ってきてあの世の話をしてくれたら信用しよう。死は元の状態、生まれる以前の私に帰るのであって当たり前のことなのだ。大自然に溶け込んでいく生命の終末の状態なのだ。たまたま骨だけが焼かれるので残って遺品となる。永遠の命はDNAで孫や曾孫に受け継がれる。それもいずれ訪れる人類滅亡の世では大宇宙ブラックホールに吸い込まれていく。あるとすれば大宇宙のエネルギーに神と言う不可解な不思議な力を認めざるを得ない。